1956年
やさしく愛して(Love Me Tender)
エルヴィスの映画デビュー作。初めは「リーノ兄弟」というタイトルで、歌う場面はないものだったが、歌の場面を4曲分押し込み題名も変えられた。映画は南北戦争直後を舞台にしたシリアスな内容で、戦死した兄の婚約者と結婚したところに兄が帰ってきて、苦悩し、ラストは兄をかばって死んでしまうという結末にタイトルソングが重なる。
エルヴィスは脚本全部のセリフを暗記して撮影に挑んだが、評論家の評価は高くなかった。
主題歌「ラヴ・ミー・テンダー」は予約だけで100万枚を売り上げた。興行的には制作費を公開3週間で回収するというハリウッド映画の新記録をつくった。その年の興行収入はジェイムズ・ディーンの「ジャイアンツ」に次いで2位だった。
1957年
さまよう青春(Loving You)
トラックの運転手をしている青年が、町のイベントから歌手となり、やがて人気が高まり、ロックン・ロールと呼ばれる歌が若者の間で人気となるという、エルヴィス自身のサクセス・ストーリーのような物語。
若い女性達が映画館で金切り声を上げたのは前作「ラヴ・ミー・テンダー」と同様であったが、映画の評判は前作より好意的だった。歌は7曲挿入され、主題歌の「ラヴィング・ユー」と「テディ・ベア」がシングル発売された。「テディ・ベア」はビルボードで7週間トップを独走した。
監獄ロック(Jailhouse Rock)
3作目の映画。このときまでに出した19枚のシングル、3枚のアルバムの全てが大ヒット続きという快進撃中であった。
ささいな喧嘩で相手を死なせてしまい服役することになる。刑務所の同室者にギターを習い、出所後に歌手を目指し、美人プロモーターに助けられスターになっていくというストーリーで、大部分は出所後の話。
制作会社はミュージカルの傑作を次々と作り出していたMGM。見せ場である主題歌「監獄ロック」のダンスシーンは、エルヴィスがいつもステージでやる動きを元にしてロックン・ロール初のミュージカル・シーンが完成した。
日本では、東映がこの映画を彷彿させる「檻の中の野郎たち」を制作したが、「公序良俗に反する」というマスコミ・キャンペーンとロカビリーをよく思っていなかった人達により中止となった。その流れでエルヴィスの「監獄ロック」の公開も中止となり、結局4年後に公開された。
1958年
闇に響く声(King Creole)
2ヶ月間の徴兵延期中に、もみあげを剃ってニューオリンズでの撮影に挑んだ。酒場の下働きをしていた歌のうまい青年が歌手の道に入っていくというもの。やくざのいざこざに巻き込まれ父親との関係が壊れたり、恋人との悩みなど見どころの多いシリアスなストーリーだが、劇中に南部の雰囲気たっぷりの11曲を歌う。原作は小説「無頼の青年」で、主役のボクサー役にジェイムズ・ディーンが主演の予定であったが、彼の死で役柄が歌手に書き換えられエルヴィスの主演となった。
エルヴィスのお気に入りの映画で、演技もこれまでで最高のものだった。評論家の評価も悪くなかった。