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誕生~少年期

誕生

1935年1月8日、エルヴィスはミシシッピ州の田舎町テュペロで、父ヴァーノン・エルヴィス・プレスリーと母グラディス・ラブ・プレスリーの間に生まれた。双子だったが一方の兄弟は死産で、一人っ子として母親に甘やかされて育てられた。貧しい家庭だったが、他人を敬う気持ち、礼儀正しさはしっかりとしつけられた。自然と口をついて出てくるサー、マダムといった言葉を始めとするエルヴィスの振る舞いは、後々出会っていく様々な人々を魅了する。

幼児期

エルヴィスの周囲にはいつも音楽があった。母親と一緒に毎日曜日に通っていた教会ではよく歌が歌われていた。エルヴィスは3歳の時、母親の膝の上から降りて聖歌隊の前に立ち、彼らの声や動きをまねて歌詞はわからないがメロディを口ずさんだというエピソードがある。

小学校入学前に黒人たちの住む地域へ引っ越したが、黒人たちの歌声やギターの音色で安らぎを得ていた。また、家庭での娯楽はラジオが主で、聞こえてくるほとんどの曲を覚えて一緒に歌えるようになっていた。

アルバム「エルヴィス・カントリー」の
ジャケットに使われた幼少期の写真

エルヴィス・カントリー

ギター

母親は10歳のエルヴィスが自転車をほしがっているのを知っていたが、55ドルと高かったため8ドルほどのギターを買い与えた(ギターの値段や時期には様々な説あり)。ギターの手ほどきは叔父などに受けたが、きちんとしたコードを教えてくれたのは教会の音楽好きの牧師だった。ラジオから聴こえるポピュラーなカントリーミュージックを中心にコピーして独習していった。ピアノも同様に独学である程度弾けるようになっている。

コンテスト

低学年のころのエルヴィスを覚えている学校関係者はいない。手のかからない、いい子だったようだ。10歳の時、ホームルーム・ティーチャーがエルヴィスが彼なりにアレンジして歌った「オールド・シェップ」を聞いて泣きそうになり、校長に紹介した。エルヴィスの歌を聴いた校長もひどく感銘して、東テュペロ代表として歌のコンテストに参加させた。小さくてマイクに届かなかったエルヴィスは椅子の上に上がり、伴奏なしに「オールド・シェップ」を歌って2等になり賞金をもらった(後に本人は5位と語っている)。このエピソードについては諸説あるが、いずれにしてもエルヴィスが歌で人を魅了し、人前で歌うことの心地よさを知った初めての出来事だった。

彼の歌には人を感動させずにはおかない、何かがあった。ギターが少し弾けるようになってからは学校に持っていきクラスメートの前で歌うようになった。エルヴィスが心を込めて歌うと涙を誘われ沈んだ気分になるため、女の子たちはイントロが聴こえると耳をふさいだという。

「オールド・シェップ」は、1956年発売の2枚目のアルバム「エルヴィス」に本人のピアノ演奏で収録されている。

メンフィス

エルヴィスが13歳の時に一家は夜逃げ同然にテュペロよりはるかに大きな街メンフィスに移った。テュペロのクラスメートは彼の歌が聞けなくなると悲しんだという。
9月の新しい学校での新学期、みすぼらしい衣類で登校したエルヴィスは、下層階級のしゃべり方に声変わりも加わり、無口になっていった。

メンフィスは黒人音楽のメッカでありながら、当時は白人が黒人専用のライヴハウスには入れず、レコードも売ってもらえなかったという。黒人音楽を楽しむには、夜こっそりラジオで聴くしかないような時代だった。
そんな中エルヴィスは、近所に住む黒人の少年たちとギターを弾いたり歌を歌ったりしていた。

黒人音楽、リズム・アンド・ブルースに早くから接し、白人の音楽にはないビート、独特な雰囲気に惹かれていった。さらに、近くにはカントリー音楽のメッカであるナッシュビルがあり、ゴスペル音楽の中心地でもあった。様々な音楽がエルヴィスに降りかかり、彼の中に染み込んでいった。

概要   ハイスクール ▶

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2021年4月26日