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ハイスクール

ヒュームズ・ハイスクール

14歳になったエルヴィスは、それまで住んでいた東テュペロの人口より多い1600名以上の生徒がいるヒュームズ・ハイスクールに入学した。学校では、合唱団に入ろうとしたが、歌い方が合わないと拒否され、いつか見返してやると誓ったというエピソードがある。

一方、黒人音楽のメッカであるビール・ストリートに通う様になり、若い黒人ミュージシャンと仲良くなったり、黒人ミュージシャン相手の衣料店の洋服を知った。長い髪にポマード、長いもみあげ、黒いズボンに色物のシャツ、ツートンのサドルシューズという当時の生徒達とは異なる独特のスタイルをするようになった。長い髪を切るのが嫌でフットボールはやめたという。

エルヴィスは友人を楽しませるために歌うことはあっても、それ以外では尻込みして逃げ回っていた。しかし、ある先生がエルヴィスを学校のバラエティ・ショーに加えてから、徐々に他人の前で歌うことに慣れていった。やはりエルヴィスの歌には人を引きつけるものがあり、友人に歌っていると周りに人が集まってきた。卒業の年、満員の公会堂でおこなわれた学校のバラエティ・ショーで、エルヴィスは圧倒的に凄いアンコールを受けた。

ビール・ストリート
現在のビール・ストリート

ゴスペル

幼少時から教会音楽に親しみ、ラジオで聴く本物のゴスペル歌手はエルヴィスにとってヒーローであった。自分もプロのゴスペル歌手となって人々を楽しませることを夢見ていたようだ。また伴奏者になるためにピアノを弾けるようになりたいと独習した。
黒人教会に通って、自分の好きなグループの歌い方をすっかりマスターしたり、多くのブラックゴスペルのレコードを幅広く収集して時間さえあれば耳を傾けていた。
また、オールナイト・ゴスペル・シンギングに入り浸ってプロのゴスペル音楽を生で聴いていた。当時の人気グループ、ジョーダネアーズとは親交があり、後にバックコーラスとしてステージやレコーディングで共演している。

エド・サリバンショー「谷間の静けさ」

黒人差別

エルヴィスが育ったアメリカ南部は最も黒人差別が激しい土地柄だった。黒人は学校、プール、乗り物も別、公園の水飲み場も白人と一線が引かれていた。音楽も白人と黒人は別れており、白人が黒人のレコードを買いたくても売ってもらえず、夜こっそりとラジオで聴くような時代だった。反人種差別運動(公民権運動)が始まるのは1950年代後半だった。
そういった時代であったが、エルヴィスは周囲の黒人と遊び、黒人の教会を覗いてゴスペルを聴き、そしてブルースを聴いて育った。エルヴィスが黒人の歌を好んで歌うことは人種差別以前の問題であり、黒人のブルース歌手を尊敬さえしていた。

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2021年4月26日